石塚さんの『 “コレ” いいねっ』のページ
グランピエ青山の責任者として勤めた30余年の間に、 石塚氏が蒐め遺したコレクションは数百点。 海外仕入れには携わらない一方で、入荷したアイテムを、客観的にも評価し、 気に入った物は、幅広くコレクションしていました。 また、プライベートでは、一年間の休職までして、世界中を廻った旅人でした。 行く先々で出会った楽しい物を持ち帰るのも習慣になっていましたし、旅の 経験談は、私達スタッフや、彼を良く知るお客様の楽しみでもありました。 彼の手許に蒐まったものたちをながめていると、これからのグランピエの仕入れの 指針とでもいうべき姿が見えてくるようです。
このページ(石コレ)ではその一つ一つを紹介しながら、彼の人柄にも触れていきたいと 思っています。
*石塚氏のコレクションは、遺族の方のご好意により、グランピエ商会が管理しております。
アフガニスタンのパイル織りドンキーバッグ(部分)。
アフガニスタン北部に住むタイマニ族のパイル織りは、太めで寄りの緩い糸を使っておられたおおらかな模様のカーペットだ。元々はロバに荷を背負わせる為の振り分けの袋で、裏面は平織りの縞のキリム地になっている物が多い。
70年代にアフガンを歩いている石塚氏にとって、彼の地に強い思いがあったのだろう。
沢山あるコレクションの中にあって、入手困難な筈のアフガニスタン物の比率が高いのだから。
20年前に数点が非売品として店にあったヘラートガラス。
パキスタン仕入れに行き初めた95年頃、あちこちのアフガン人に聞き込みをしてようやく道がつき、仕入れる事ができました。 筒型、薄青の猪口は良く出ていて、『夏にはこれしか使ってないよ』と氏もえらくお気に入りの様子でした。
ヘラートは紀元前からペルシャとの縁の深い街、この古いガラスの技術も、ペルシャからもたらされたものの一つです。
パキスタン北部からアフガニスタンで使われていたという石のオイルランプ。
氏の同地域、同種のコレクションとしては、最も執着していたアイテムでした。
きっかけは、登山家としてもパキスタンを熟知されている同業、チョロバザール社長、Y氏から無理を言って譲り受けた、数点の使い込まれた優品。家へ行けば常に座右にあって、自慢していたのでよく覚えています。パキスタン仕入れの前には、「オイルランプお願いね。」 と必ず笑って言ってたのを思い出します。大麻樹脂だと疑われ、必ず荷が遅れるのも、この黒いランプのせいだと、パキスタンの業者も閉口していたのでした。